【孤独の建築 Vol.3|Caplutta Sogn Benedetg(聖ベネディクト礼拝堂)
ピーター・ズントーが手がけた最初の教会建築。
どうしても、一度この目で見ておきたかった。
最寄駅は、Sumvitg-Cumpadials。
列車を降りると、そこは谷の底のような静けさだった。
ここからは徒歩。アスファルトではあるけれど、坂はなかなかに手強い。
自分は普段からよく歩く方だと思っていた。
坂道も嫌いじゃない。
けれどこの道は、そんな自負をじわじわと削ってくるような傾斜だった。

心拍が上がるのを感じながら、とぼとぼと歩いていたそのとき。
背後から静かに、1台の車が近づいてきた。
日本人のカップルだった。
「教会まで乗っていきますか?」
こんな場所で、こんなやりとりがあるなんて。
ありがたく車に乗せてもらい、途中から一緒に教会へ。
静かなご縁に、少し救われた気がした。

Caplutta Sogn Benedetg。聖ベネディクト礼拝堂。
山の中腹に、ぽつんと立っていた。
控えめだけど、決してかすんでいない。
風景の一部でありながら、確実に“建築”としてそこにいる。

外壁の板張りを見て、少しだけ戸惑った。
北側のファサードが、白く焼けていたのだ。
陽が当たりにくいはずの面が、
まるで雪をかぶったかのように、乾いて白くなっている。
一方で、南側はまだ深い茶色を保っていた。
逆じゃないのか? そう思いながら、少し考える。
風か。湿気か。あるいは空気の流れか。
建築は「意図」と「環境」のあいだで、いつも勝手に変化していく。
その事実が、なんだか面白く思えた。

隣に立っていた鐘楼のような構造体。
ただの鐘ではない。
鉄でもコンクリートでもなく、細く伸びて、
空にむかって開いていく。
ふと、天国への階段という言葉が浮かんだ。
そんなふうに見えてしまうほど、素直な造形だった。

扉を開けた瞬間、空気が変わった。
外の陽射しと風のざわめきが、すっと遠ざかる。
木の匂い。ぴんと張った静けさ。
足音さえ、どこか遠くから聞こえるような感覚だった。
床はごくわずかに傾いている。
気づかないほどの角度で、奥へ奥へと導いていく。
まっすぐではない。わずかにずれていて、
それが空間に“進行”という時間を与えていた。
壁には何もない。十字架も、絵も、窓もない。
あるのは、木の肌と、スリットから差し込む光だけ。

屋根は船底のように弓なりに反っていた。
まるで、空間そのものが方舟のようだった。
どこかに向かって進んでいるのか。
いや、どこにも行かないまま、ただ漂っているのか。
そんなことを考えながら、ゆっくりと奥へ進む。
祭壇の手前で、自然と足が止まった。
光が、静かに降りてくる。
空間を照らすのではなく、ただそこに“触れている”ような光だった。

ズントーの建築には、いつも時間がある。
それは時計の針じゃない。
素材の経年変化とか、光の移ろいとか、
訪れた者が“今”を受け取るための時間だ。
この空間が、方舟だとすれば、
いったいどこに向かっているんだろう。
祈りの先か、それとも誰かの記憶の中か。
はたまた、どこにもたどり着かない場所かもしれない。
けれどこの礼拝堂は、確かに前を向いていた。
小さく、静かに、でも揺るぎなく。
訪れた者に、それぞれの「向かう先」を問うように。

しばらくして外に出ると、また空が眩しかった。
さっきまでいた場所の温度と静けさが、
皮膚の裏側にまだ残っていた。
派手な仕掛けも、技術の誇示もない。
でも、いつまでも忘れられない建築。
ズントーの原点は、ここにある気がした。

Caplutta Sogn Benedetg(聖ベネディクト礼拝堂)へのアクセス
- 所在地:Via Caplutta 5, 7172 Sumvitg, Switzerland
- 設計:Peter Zumthor(ピーター・ズントー)
- 竣工年:1998年
- 構造形式:木造(湾曲した屋根とスリット採光が特徴)
🚉 公共交通でのアクセス(徒歩あり)
- 最寄り駅:Sumvitg-Cumpadials 駅(SBB/ローカル線)
- 駅から礼拝堂まで徒歩約30〜40分
※登り坂が続くため、歩きやすい靴・水分補給・時間の余裕を忘れずに - 道は舗装されているが、傾斜がきつく体力を要します
🚗 車でのアクセス(個人旅行向け)
- 近隣に小さな駐車スペースあり(礼拝堂近く)
- 山道のため、天候やナビ設定(「Caplutta Sogn Benedetg」)に注意が必要
🕊 見学のポイント
- 教会は無人。内部に入る際は扉を静かに開けて
- 外壁の木板は方角によって経年変化の色が異なり、建築と自然の関係を感じられる
- 周囲の鐘楼もあわせて体験することで、空間の構成がより深く理解できる