Peter Zumthor

ズントー建築の傑作「ブルーダー・クラウス礼拝堂」へ|静寂と光の空間体験記

【孤独の建築 Vol.1|Bruder Klaus Kapelle】

駅に降りた瞬間から、静けさが染み込んできた。
その名もSatzvey。周囲に人の気配はほとんどない。
電車が走り去る音だけが線路に残り、しばらく耳がきーんとした。

このあたりの冬は乾いていて、空の青さがやけに深い。
朝の光を浴びながら、ひとりで歩く。

道中、いくつかの畑を越える。
土の匂い、遠くに見える林。車もなく、看板も少ない。
歩くたび、目的地の存在感だけが少しずつ濃くなっていく。

丘の上にぽつんと、何かが立っていた。
教会……だろうか?と思ったが、それにしては異質だ。
塔のようでいて、倉庫にも見える。
それでいて、きちんとした意図が感じられる。そんなかたち。

これが、ピーター・ズントーの設計によるBruder Klaus Kapelle。
ドイツ西部、ヴァッヘンドルフにある小さな礼拝堂だ。
2007年に完成し、以来多くの建築好きの聖地となっている。

外壁は版築(Rammed Earth)で造られている。
層状に重なった土のテクスチャが美しい。
実際、24層ほどの土が積み重ねられているらしい。
その色味の違いが、偶然と必然の間を漂っている。

躯体の内部には木材の型枠が用いられていた。
コンクリートのように打設するのではなく、
毎日少しずつ、土を突き固めていくという気の遠くなる作業だ。
型枠として使われた丸太は、完成後に火で焼かれて取り除かれた。
結果として、内部は焼け跡のような黒く煤けた空間となっている。

建築というよりは、”祈りの器”。
一切の装飾が排除され、建材そのものが存在を語る。
それでいて、どこか人肌のような温もりがあるのは、
土と木と火という、素朴な素材のせいだろうか。

教会というにはあまりにも静かで、
彫刻というにはあまりにも使われている。
不思議なバランス感覚を持った建築だ。

遠目に見ると、その鋭い三角の入口がやや滑稽にも見える。
でも近づけば、その存在感に押される。
無骨で冷たいスチールの扉は、意外にもすっと開いた。

扉を押すと、思った以上に軽やかな音がした。
外とはまるで別世界だった。
真っ暗な空間。時間の流れが、きゅっと絞られる。

目が慣れるまで、ほんの数秒。
だがその数秒のあいだに、肌に何かが降りてきた。
温度でもなく、光でもない。
空気の重さというか、静けさの輪郭のようなもの。

上を見上げると、天井がとてつもなく高い。
筒のようにくり抜かれた空間のてっぺん、
小さな穴から、針のように鋭い光が差し込んでいた。

壁は黒く煤けて、どこまでも無言。
それでいて、光だけが語りかけてくる。
時間とともに、その光が少しずつ角度を変える。
それが、この礼拝堂唯一の動きだった。

中には、鉄の板を折り曲げたような祭壇と、
同じく無骨な蝋燭立てがあるだけ。
椅子もなければ、像もない。
人が祈ることだけを目的とした空間。

この構造体は、構法の塊でもある。
RCでも鉄骨でもない。土と火と木。
人の手で一層ずつ作られた構造は、
図面以上に「意志」を感じさせる。

版築という工法は、もともと中国や西アフリカの伝統技術で、
近年また再評価されている。
でもズントーは、そんな歴史的文脈よりも、
「ここにふさわしいかどうか」だけで選んだようにも思える。

現場に立つと、理屈じゃないものがある。
そう、これは建築を見にきたというより、
建築に包まれに来た、という感じだ。

気がつけば、十数分が経っていた。
誰も話さない。誰も急がない。
ただ、時折入ってくる人が、また静かに出ていくだけ。

俺も、その一人だった。

建築を「体験する」って、こういうことかもしれない。
見る、測る、写真に撮るじゃなく、
ただその空間に沈んでいく。
それを許す設計。素材。プロポーション。空気。

外に出ると、眩しさがぶつかってくる。
さっきまでいた空間が、夢の中だったように思える。
でも、靴の裏にはしっかりと土がついている。
たしかに、俺はここにいた。

帰り道は、同じ道のはずなのに、何かが違って見えた。
空の青さも、土の匂いも、さっきより少し濃く感じる。

ズントーの建築は、何も語らない。
でも、何かを残していく。

またふと、来たくなる気がする。
冬の乾いた風の中、あの無口な塔が、
今日もひっそりと立っている。

Bruder Klaus Kapelle(ブルーダー・クラウス礼拝堂)へのアクセス

  • 所在地:Wachendorf, 53894 Mechernich, Germany
  • 設計:Peter Zumthor(ピーター・ズントー)
  • 竣工年:2007年
  • 構法:版築(rammed earth)

🛤 公共交通でのアクセス

  1. ケルン中央駅(Köln Hbf)から約1時間半
  2. Mechernich駅またはSatzvey駅で下車
  3. 駅から礼拝堂まで徒歩約40〜50分(やや登り坂)

※公共交通+徒歩で訪れる場合は、歩きやすい靴・飲み物・防寒対策を忘れずに。

🚗 車でのアクセス

  • 車で来る場合、礼拝堂の近くに小さな駐車スペースあり
  • 周囲は農道で見通しは良いが、ナビ設定は「Wachendorf Bruder Klaus Kapelle」推奨